ユージン・オネーギン

あらすじ

 

時と場所:1820年代。ロシアの農村とペテルブルク

 

第1幕

田舎の領主の家のテラス。タチアーナと妹オリガの歌声が聞こえる。母ラリーナは乳母フィリッピエヴナに思い出話をしている。そこへ百姓達が訪れロシアの収穫祭の歌を歌う。姉妹は農夫達の踊りを眺めている。するとオリガの婚約者レンスキーが友人オネーギンを連れてやって来る。レンスキーはオリガへの愛を歌う。タチアーナはオネーギンに一目惚れしてしまう。タチアーナはオネーギンに対する想いのため寝つかれない。タチアーナはオネーギンへ手紙を書くことを決心し「手紙の場面」を美しく歌う。やがて夜が明けタチアーナは手紙を乳母に託す。ラリーナ家の庭先で苺を摘むおとめ達の歌声が聞こえる。そこへオネーギンが現れ冷ややかに道学者じみたお説教をし、さらに自分は夫には向かない人間であるとタチアーナに冷ややかな返事を返す。

 

第2幕

タチアーナの命名日を祝う舞踏会。オリガがオネーギンとばかり踊るのでレンスキーは嫉妬する。おもしろくないレンスキーはオネーギンと口論になりついに決闘の申し入れとなり、オリガはその場で気を失う。雪の水車小屋の前。早朝。レンスキーと介添人ザレッキーがオネーギンを待っている。レンスキーはオリガへの想いをアリアに託す。やがてピストルを片手に向き合う二人。ピストルが発射されレンスキーが倒れる。

 

第3幕

ペテルブルクの社交場。数年後。オネーギンがグレーミン公爵邸の舞踏会に来る。やがて公爵が妻タチアーナをオネーギンに紹介する。何も知らない公爵は「愛は若い日にだけ花咲くものではない」と夫人への愛を歌う。公爵邸の応接間。オネーギンの切なる願いでタチアーナは彼に会う。彼女は初恋の思い出に動揺し「なぜ今になって?」と問いかける。オネーギンは「今は心から愛している」と訴えたが、タチアーナは「過去は呼び戻せません」と彼の願いを退ける。残されたオネーギンは自らの運命を嘆く。(幕)

プログラムとキャスト

音楽PëtrIl’ičČajkovskij


3幕の歌詞シーン
作曲家とK.S.による台本シロフスキー、アレクサンドル・プーシキンの詩小説の後

 
初演、マリイ劇場、モスクワ音楽院の学生、1879年3月29日
指揮者ジェームズ・コンロン
ロバート・カーセン監督


コーラスマスターロベルトガビアーニ
セットアンドコスチュームデザイナーMichael Levine
照明デザイナージャン・カルマン


キャスト


マダム・ラリーナ:イリダ・ドラゴティ*

タチアナ:マリア・バイアンキナ

OLGA:ユリア・マトキキナ

FILIPYEVNA:アンナビクトローバ

ユージネ・オネギン:マルクス・ヴェルバ

レンスキー:サイミル・ピルグ

プリンス・グレミン:ジョン・レリエア

ザレツキー:アンドリー・ガンチュク*

TRIQUET:アンドレア・ジョバニーニ


*劇場「ローマ劇場」の若手アーティストプログラム「Fabbrica」の後


ローマ劇場オーケストラと合唱団


カナダのオペラ会社の制作
ニューヨーク市のメトロポリタン歌劇場で初演


イタリア語と英語の姓でロシア語で歌われる

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FEB 2020

ローマ歌劇場

ローマ歌劇場(Teatro dell'Opera di Roma)は、イタリア・ローマにある歌劇場。1880年11月に開場したコスタンツィ劇場がその前身である。数度にわたる名称の変遷、改修工事を経て、現在は総席数約1,600の歌劇場である。ローマ・オペラ座とも訳される。

 

歴史

ローマ歌劇場の前身である「コンスタンツィ劇場」の名前はこの劇場を建てた施主、ドミニコ・コンスタンツィに由来します。彼は私財をもってこの劇場を計画し、設計をミラノの劇場建築家アキーレ・スフォンドリーニに委嘱しました。かつてはローマ皇帝ヘリオがバルスの邸宅があった用地に新劇場は18ヶ月で完成し、1880年11月27日、ロッシーニ「セミラーミデ」の上演で開場しました。

ドメニコ・コンスタンツィはこの歌劇場を自ら運営し、経済的困難はあったものの、数多くの世界初演を行うことができました。その代表が、1890年、マスカーニ「カヴァレリア・ルスティカーナ」の大成功でした。ドメニコの死後、その息子エンリコ・コンスタンツィが運営を引き継ぎ、1900年1月14日、プッチーニ「トスカ」の初演を挙行しました。

1907年にコンスタンツィ劇場は支配人ヴァルター・モッキ率いるSTINに買収され、1912年から1925年まではモッキの妻であるソプラノ歌手、エンマ・カレッリを支配人として興行が行われました。

その後、1926年11月にコンスタンツィ劇場はローマ市庁によって買収され、王室歌劇場と改称されました。建築家マルチェッロ・ピアチェインティーニの設計による部分改築が行われ、15ヶ月の休場の後、1928年2月27日、ボーイトの「ネローネ」によって再開場しました。

首都ローマの豪壮な都市計画を進行していたムッソリーニのファシスト政権はこの王室歌劇場も精力的に梃入れしました。大恐慌の影響でニューヨーク・メトロポリタン歌劇場を離れイタリアに帰国した名歌手を集結させ、名指揮者トゥリオ・セラフィンを音楽監督に戴いて、同劇場はミラノ・スカラ座に比肩し得る黄金時代を築きました。

1937年からはローマ市内にある古代ローマ時代の公衆浴場遺跡、カラカラ浴場での野外公演も夏季シーズンに開催されるようになりました。

第二次世界大戦後、王制から共和政への政体変化に伴い、歌劇場はローマ歌劇場と再改称された。1958年にはローマ市庁によって更なる改修・近代化が行われました。

現在の総席数は約1,600。

 

 

ローマ歌劇場へのアクセス

 

住所:Piazza Beniamino Gigli, 7 

 

地下鉄 Linea A  停車駅:REPUBBLICA TEATRO DELL'OPERA

 

バス
Via Nazionale - H, 40, 60, 64, 70, 71, 170, 116T 
Via Depretis - 70, 71 
Via Cavour - 16, 75, 84, 150 (festivo), 360, 590, 649, 714 
Stazione Termini - 16, 38, 75, 86, 90, 217, 310, 360, 649, 714 

 

TAXI 
電話番号:- 06,3570

 

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